【再掲】吉ヶ原 “農業用水路” の今
こんにちは。 「鶴見陶苑」です。いつも当ブログにご来訪頂き、ありがとうございます。
今日は、2016/12/03 ヤフーブログにUPした記事を “FC2ブログ” に再掲します。
・http://blogs.yahoo.co.jp/katatetu_kichigahara/14814551.html
先日頂いた “柵原町史” に基づき関連部分の記述を修正いたしました。
また関連ページの画像 (P750) をUPいたします。

今から58~9年前 (小学校4~5年生) のことです。
社会科の学習で、地元 “吉ヶ原” の “農業用水路” が“江戸時代” 【註-1】” に作られたこと等を学び、“吉井川” の “取水堰” 【註-2】” を見に行くことになりました。

“柵原町史” によると
・【註-1】 江戸時代ではなく 明治8年着工、明治11年完成
・【註-2】 井堰の名は “深山ケ瀬井堰”
・【註-3】 俗に言う “高岩” ではなく “魚ケ嶽” とのこと”
“TS先生” (後に私の生涯の指針を与えた先生です) が先導し自転車で見に行きました。
直線距離4キロ (約6キロ) の行程でしたが、初の遠乗りでお尻が痛かったですね~。 勿論舗装されていない “穴ぼこ” だらけの地道ですよ!
吉井川沿いに “右岸” を上り、着いた場所は “栗子” (くりご) という所でした。 石組の “井堰” がありましたね。 ちょっとくたびれた感じがしました。
また最近の “グーグルマップ” を見てみますと、“栗子の取水堰” がありません。
吉ヶ原までの用水路は “吉井川左岸” を延々と走り、吉ヶ原手前で最大の難所 “高岩” 【註-3】” をくり貫いた隧道を通りやっと到達します。
小学生の頃近所のおっちゃんと中を歩いたことがありますよ。


なぜ “農業用水路” をアップしたかと言うと・・・、先日アップした “38豪雪” 関連で、私が凍結路で自転車ごと転倒し崖から落ちそうになったことからでした。
“グーグル・ストリートビュー” で通学路・転倒箇所 (写真4枚目) を見ていると、道路幅が倍近く広がっているのでおかしいと思い記憶を辿ってみました。 「確か一間 (1.82 m) ぐらいの “農業用水路” が並行していたよな~」 と・・・


ネットで探した “吉井川水系の水利模式図” (写真5枚目) を見ると、井堰ではなく “吉ヶ原揚水機(0.2450)” と表記されています。'''
“栗子の取水堰” (深山ケ瀬井堰) の洪水での破損修理、“水路” の維持管理費の増大等々の要因から“揚水設備” に切り替えたのではと思われます。



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コメント
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2019/05/22 16:27 by 編集
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2021/01/31 14:35 by 編集
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2021/01/31 14:36 by 編集