FC2ブログ

同級生に居た “伝説の美女”





お早うございます。 「鶴見陶苑」です。
いつも当ブログにご来訪頂き、ありがとうございます。

昨日は午後より “雷雨”、“大雨警報” が出たり15時過ぎには激しい降雨のため気温が一挙に24℃まで下がるなど大荒れの天気で盆栽の手入れが出来ませんでしたので、盆栽には全く関係ありませんが “取って置きの記事” をアップします。

この歳になると時々ノスタルジーに浸ることがあります。
そんな時は “グーグル” の “ストリートビュー” を覗きます。


“ストリートビュー” は全国、車の通れるところは大概走り回っていますので、我が故郷 “吉ヶ原” もシッカリ撮影されています。
既に鉱山街の無くなった旧岡山県久米郡柵原町の “吉ヶ原”・“藤原”・“久木” その他、色んな道を通りながら感慨深く閲覧しています。
【写真1枚目・母校旧 「吉岡中学校」】
FC0224-01吉岡中学校・正門

【写真2枚目・吉岡中学校跡地に設置されている石碑】
FC0224-02 吉岡中学校跡地石碑

先日も “吉ヶ原”~“小瀬” の “吉岡中学校” (跡地、現・美咲町立柵原西小) までの通学ルートを閲覧していましたが、ふと同級生のご実家を見ると表に少し肥えた感じの女性が居ました。 勿論顔はモザイクが入っています。
アッ “○○さん” かな? と思って大阪に居る友達 (女性) に電話した時に聞くと
「 “○○さん” なら関東に住んでるよ! 多分兄弟の奥さんじゃあないかな!」 と

ところで “○○さん” (同級生) は母校 “吉岡中学校” 一の美人でした。
【写真3枚目・卒業記念写真帳より “○○さん”】
FC0224-03 Fさん

今で言う可愛い系ではなく “山本富士子さん” の様な超一級の本格的美人!
私は一度も話したことがありませんでした。 今思えばメッチャ残念!

“○○さん” は、高校は学区外にあたる “林野高校” へ進学したそうです。
“林野高校” と言えば岡山県では昭和39年当時――
“朝日”・“操山”・“大安寺”・“津山” 高校等々に次ぐハイレベルな学校でした。
因みに “ブルゾンちえみ” の出た “大安寺高校” はそこそこの学校だったんです。

そこで友達からの請け売りですが “伝説” となった出来事が・・・
“○○さん” は部活で “剣道部” に入ったそうです。
体育館での練習には男子学生が人垣をつくって見学し練習にならなかったとのこと。
中学生と違い高校生ともなれば多少 “色気” も出ますから、絶世の美女が袴を付けた剣道着姿はさぞや素晴らしかったでしょうね~
私も同じ高校に行っていれば多分人垣の中に紛れ込んでいたでしょうね。


さて “柵原” から “林野高校” まではどの様にして通学したんでしょう?
“中鉄バス”・“宇野バス” を乗り継いだんでしょうか?
そして現在では “柵原” から “林野高校” に通う学生も結構いるとのこと。
学区がなくなり高校進学も大分変ったようです。

またこれも友達から聞いた話ですが、“万博” (1970年) のころ “○○さん” は西日本 “着物コンテスト” に出場し “準ミス着物” に入賞したとのこと。
超美人の彼女が “準ミス” なのだからその上の “ミス着物” ってどれだけの美人だったのか・・・上には上が居るんですね~
友達によると “○○さん” の “おかあさん” もメッチャ美人だったとか

私は残念ながら、“伝説の美女” と同級生だったことだけです。

●台風15号が発生しましたね。 東海・関東を直撃しそうです。

FC0224-04、906-3時-台風13・15号・ヤフー

にほんブログ村 花・園芸ブログ 盆栽へ
「にほんブログ村」 に参加中、ポチッ↑↑↑と押して下さいね。


「FC2 ブログ ランキング」 に参加中、↑↑↑ポチッと押して下さいね

■■“アメーバブログ” に “ヤフーブログ” 記事を完全移行しました。
宜しければご来訪ください。
「鶴見陶苑」の盆栽日記 (録)
 ・https://ameblo.jp/d-and-p-ay2001

「片上鉄道」吉ヶ原のブログ
 ・https://ameblo.jp/katatetu-kichigahara2015/

PVアクセスランキング にほんブログ村


スポンサーサイト



河原屋~吉ヶ原の “渡し舟”





こんにちは。 「鶴見陶苑」です。
いつも当ブログにご来訪頂き、ありがとうございます。

今日は50~60年程昔の我が故郷 “吉ヶ原” に纏わる話のアップです。

その昔、“河原屋” (かわらや、旧赤磐郡吉井町・現赤磐市) と “吉ヶ原” (旧久米郡柵原町・現美咲町) の間を流れる “吉井川” に “渡し舟” がありました。 車社会となった現在ではありません。 また何時まで存在していたのかも私が大阪に来ましたので知りません。


FC0142-01.jpg
“吉ヶ原小学校” の同級生に “河原屋” 在住の “O君” が居ました。 2~3才上にO君のお兄ちゃんも居た様な気がします。 そして一級下に女子生徒 “Sさん” がいました。 他に居たかどうかは分かりません。
当時学区外の人が居ることを不思議に感じた訳ではありません。 通学が “渡し舟” であったことが珍しかったんです。 2枚目写真の川舟よりやや幅のある “高瀬舟” 風の舟でした。

FC0142-02.jpg

“吉岡中学校” 時代は “O君” が居ないことが気に成ることが無かったんですが、“和気閑谷高校” に上がってから “O君” と再会、そして1年後には “Sさん” も見かける様になりました。 懐かしさを感じましたね~
FC0142-03.jpg

さて “渡し舟” での “河原屋” からの通学は精々400~500mです。
例えば徒歩や “宇野バス” で “藤原橋” を経由した通学は2200mぐらい。

若し学区内通学をしたとすれば “草生” (くそう) を通り “旧・周匝小学校” への通学ですから 4700m ぐらい。
多分 “吉井町”・“柵原町” の教育委員会が打ち合わせて一番負担の少ない “渡し舟” 通学になったのではないかな? と勝手に思っています。
中学校は “吉井町” の “吉井中学校” へ自転車通学したのだと思いますが通学距離は約 4700m。
若し “河原屋” から “吉岡中学校” へ自転車通学していたとしたら約 4200m 程度だったと思います。

“和気閑谷高校” への通学は “河原屋” から “周匝駅” まで自転車で行き “片上鉄道” に乗り換えていたんでしょうね。 大変な行程でしたね。

子供の頃、私も “草生” の親戚を訪ねた時この “渡し舟” に乗舟したことがあります。 “河原屋” に向かって 「おーい」 と声をかければおっちゃんが櫓を漕ぎ舟を廻してくれました。

“矢切の渡し” 等有名な “渡し舟” がありますが、当時は学校ばかりでなく鉱山が経営する安価なマーケットが “吉ヶ原” にはありましたから “河原屋~吉ヶ原” の “渡し舟” も生活に根差した “渡し舟” だったと思います。

FC0142-04.jpg
FC0142-05.jpg

“河原屋” は “柵原鉱山” にとっても大事な地域でしたよ。
写真4枚目の 「柵原鉱床分布図」 にも載っている “深部鉱床” があった所です。
現在のグーグル地図やストリートビューでは全く窺い知れませんが、地下800mには “深部鉱床” が有ったんです。 その昔 “河原屋” では何本ものボーリング調査がされたのかも知れませんね。
この平面図では分かりませんが、断面図を見ると地上部の “柵原第1鉱体” から “深部鉱床” に向かって鉱床が潜り込んでいます。 宇宙で地球が誕生した時、宇宙の塵や色んな物質・物体がぶつかり合って成長し一つの星になっていった “地球創成期” のドラマを感じますね~
【参考】 アメブロに “「柵原鉱山」-2” と言う記事を載せています。
・2015-02-22 https://ameblo.jp/katatetu-kichigahara2015/entry-12482616822.html

当時の “河原屋” の交通機関は、“宇野バス” しかありませんでした。
“宇野バス” は岡山の “表町バスセンター”~“周匝”~“河原屋”~“柵原駅”~“湯郷・林野駅” が運行されていました。
(現在は “岡山”~“周匝”~“高下”~“湯郷・林野駅” になっている様です)

FC0142-06.jpg

一方 “吉ヶ原” は “片上鉄道” が通り “中鉄バス” が “津山駅”~“吉ヶ原駅” まで運行していました。
(現在 “高下”~“吉ヶ原”~“久木”~“大戸”~“津山駅・東一宮車庫” で運行中)

FC0142-07.jpg

“宇野バス” と “中鉄バス” の写真を載せています。 当時の塗装色ですが、バスは当然 “ボンネットバス” ですよ。

取り留めのない記事になりましたが、“渡し舟” の思い出でした。


にほんブログ村 花・園芸ブログ 盆栽へ
「にほんブログ村」 に参加中、ポチッ↑↑↑と押して下さいね。


「FC2 ブログ ランキング」 に参加中、↑↑↑ポチッと押して下さいね

■■“アメーバブログ” に “ヤフーブログ” 記事を完全移行しました。
宜しければご来訪ください。
「鶴見陶苑」の盆栽日記 (録)
 ・https://ameblo.jp/d-and-p-ay2001

「片上鉄道」吉ヶ原のブログ
 ・https://ameblo.jp/katatetu-kichigahara2015/

PVアクセスランキング にほんブログ村


【再掲】 柵原鉱山顕彰誌より “片上鉄道の歩み”





こんにちは。 「鶴見陶苑」です。
いつも当ブログにご来訪頂き、ありがとうございます。

今回は 「鶴見陶苑」 の “アーカイブ”、2015/03/02に “ヤフーブログ” に投稿しました 『“柵原鉱山顕彰誌” (平成4年12月1日・発行) に掲載されている “片上鉄道の歩み”』 を “FC2ブログ” で 【再掲】 します。

言う間でもなく “片上鉄道” は “柵原鉱山” で産出した鉱石を運ぶために生まれ、鉱山と運命を共にした日本屈指の鉱山鉄道・私鉄でした。

5枚目写真、図中の赤でマークした部分は、私が “和気閑谷高校” への通学 (S39~42年) で利用した期間で、奇しくも片上鉄道の最盛期でした。 私は鉱山従業員家族でしたから通学定期費用の半額補助がありました。

※鉄道が廃止された現在でも “片上鉄道保存会” により “旧・吉ヶ原駅” で動態保存がされていますし、系列会社だった秋田県の “小坂鉄道”(現・小坂レールパーク) でも片鉄で活躍した “DL・DD13-556” が動態保存され雄姿を見せています。

●片上鉄道保存会
 ・http://www.ne.jp/asahi/katatetsu/hozonkai/

●小坂レールパーク
 ・http://kosaka-rp.com/publics/index/10/detail=1/c_id=47/page47=3


FC0122-001.jpg
FC0122-002.jpg
FC0122-003.jpg
FC0122-004.jpg
FC0122-005.jpg
FC0122-006.jpg
FC0122-007.jpg
FC0122-008.jpg
FC0122-009.jpg


にほんブログ村 花・園芸ブログ 盆栽へ
「にほんブログ村」 に参加中、ポチッ↑↑↑と押して下さいね。


「FC2 ブログ ランキング」 に参加中、↑↑↑ポチッと押して下さいね



PVアクセスランキング にほんブログ村


【再掲】吉ヶ原 “農業用水路” の今

こんにちは。 「鶴見陶苑」です。
いつも当ブログにご来訪頂き、ありがとうございます。


今日は、2016/12/03 ヤフーブログにUPした記事を “FC2ブログ” に再掲します。
http://blogs.yahoo.co.jp/katatetu_kichigahara/14814551.html

先日頂いた “柵原町史” に基づき関連部分の記述を修正いたしました。
また関連ページの画像 (P750) をUPいたします。
FC0096-00 柵原町史P750


今から58~9年前 (小学校4~5年生) のことです。
社会科の学習で、地元 “吉ヶ原” の “農業用水路” が“江戸時代” 【註-1】 に作られたこと等を学び、“吉井川” の “取水堰” 【註-2】 を見に行くことになりました。
FC0096-01 空中写真-農業用水路-2

“柵原町史” によると
・【註-1】 江戸時代ではなく 明治8年着工、明治11年完成
・【註-2】 井堰の名は “深山ケ瀬井堰”
・【註-3】 俗に言う “高岩” ではなく “魚ケ嶽” とのこと


“TS先生” (後に私の生涯の指針を与えた先生です) が先導し自転車で見に行きました。
直線距離4キロ (約6キロ) の行程でしたが、初の遠乗りでお尻が痛かったですね~。 勿論舗装されていない “穴ぼこ” だらけの地道ですよ!

吉井川沿いに “右岸” を上り、着いた場所は “栗子” (くりご) という所でした。 石組の “井堰” がありましたね。 ちょっとくたびれた感じがしました。
また最近の “グーグルマップ” を見てみますと、“栗子の取水堰” がありません。
吉ヶ原までの用水路は “吉井川左岸” を延々と走り、吉ヶ原手前で最大の難所 “高岩” 【註-3】 をくり貫いた隧道を通りやっと到達します。
小学生の頃近所のおっちゃんと中を歩いたことがありますよ。
FC0096-02 栗子-吉ヶ原農業用水取水堰
FC0096-06.jpg

なぜ “農業用水路” をアップしたかと言うと・・・、先日アップした “38豪雪” 関連で、私が凍結路で自転車ごと転倒し崖から落ちそうになったことからでした。
“グーグル・ストリートビュー” で通学路・転倒箇所 (写真4枚目) を見ていると、道路幅が倍近く広がっているのでおかしいと思い記憶を辿ってみました。 「確か一間 (1.82 m) ぐらいの “農業用水路” が並行していたよな~」 と・・・
FC0096-04 中2通学路・柵原転倒場所

FC0096-03 グーグルアース-揚水設備

ネットで探した “吉井川水系の水利模式図” (写真5枚目) を見ると、井堰ではなく “吉ヶ原揚水機(0.2450)” と表記されています。'''
“栗子の取水堰” (深山ケ瀬井堰) の洪水での破損修理、“水路” の維持管理費の増大等々の要因から“揚水設備” に切り替えたのではと思われます。 
FC0096-05 吉ヶ原農業用水揚水設備
FC0096-03 グーグルアース-揚水設備





にほんブログ村 花・園芸ブログ 盆栽へ
「にほんブログ村」 に参加中、ポチッと押して下さいね。↑↑↑



「Blog Ranking」 に参加中、ポチッと押して下さいね↑↑↑




PVアクセスランキング にほんブログ村

“中学生” 時代のアルバイト

こんにちは。 「鶴見陶苑」です。
いつも当ブログにご来訪頂き、ありがとうございます。


56~7年前の古い話です。 私が “吉岡中学校” 1年から2年生の時にした “アルバイト” についてです。
1月下旬ころ幼馴染の “O君” と “アルバイト” して小遣い稼ぎしようか! との話になり、実家近くの豆腐屋に行きました。
大将は 「良いよ!」 と言って “O君” と私の外見から判断して、“O君” は小売り、私は配達と言うことになりました。
一日50円で3~4軒の小売店への配達です。(写真1枚目)
一斗缶の半分ぐらいの容器に一段4丁×2段詰め込み それを4缶 “荷物用自転車” (写真2枚目) に積んで配達しました。
その容器への詰め込みは私たちの役目で、出来立ての豆腐を詰め込んで行くんですが、最初は親指の当たるところが罅割れてしまうので大変でした。
暫くすると慣れて傷を付けず豆腐を触れるようになりましたよ。

さてし始めたのが真冬でしかも私が “霜焼け性” でしたから手の指は “霜焼け” だらけ。 これが一番辛かったですね~
もう一つ辛かったのは、冬場容器に残った前日の豆腐を配達した容器に移し替えること。 氷が張っているメッチャ冷たい豆腐を触ると手が千切れそうでした。

一枚目写真のルートは往復3.2キロぐらいあり朝6時から40~50分かけて配達しました。 休みは正月の2日だけ約1年間やりました。
“藤原地区” の空色のルートはややきつめの上り坂 (約170m) でしたが、自転車を降りて押すことなく腰を上げて一生懸命踏み込み登り切りましたね。 中学1年生ですから身長も150cmを超えたぐらいでしたから “荷物用自転車” そのものが重たくて大きいし大変でした。
でもそのお陰で足腰が強く成り中学での “相撲”、高校での “柔道” に役立ったと思います。
中学3年に成ると“受験勉強” しなければなりませんから、2年生いっぱいで “アルバイト” を止めました。
でも高校生になってからも “盆・正月” には全般にわたって手伝ってほしいと言ってきたので、やりましたよ。

今思えば辛いこともありましたが記憶に残る “思い出” です。
小売りをした “O君” は売れたり売れなかったり変動が激しかったので一月ほどで止めました。

●“荷物用自転車” は最近ではほとんど見ませんが、“KUSU” さんのブログ 「レトロ自転車ウォッチング」 “街の古い自転車~築地~” より写真を拝借しました。
 ・2015/06/15 https://blogs.yahoo.co.jp/retrojitsuyousha/56983638.html
この自転車よりもタイヤが太くごつかった様に思います。


FC0092-01.jpg
FC0092-02.jpg


にほんブログ村 花・園芸ブログ 盆栽へ
「にほんブログ村」 に参加中、ポチッと押して下さいね。↑↑↑



「Blog Ranking」 に参加中、ポチッと押して下さいね↑↑↑




PVアクセスランキング にほんブログ村

プロフィール

bonsainikki313

Author:bonsainikki313
盆栽ライフを楽しみましょう!

フリーエリア

フリーエリア

PVアクセスランキング にほんブログ村

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR